現代奏法のすヽめ


 
サクソフォンの現代奏法の誕生とロンデックスの功績 

 サクソフォンの現代奏法は、1970年の作曲されたE.デニゾフの《アルト・サクソフォンとピアノの為のソナタ》(以下ソナタ)を皮切りに発展を遂げ、今日では新たに作曲されるサクソフォンのレパートリーの多くに用いられている。クラシカル·サクソフォンの先駆者であるM.ミュールと同時代の著名な作曲家は、サクソフォンにあまり興味を持たず、積極的に曲を書こうとはしなかった。しかしサクソフォンの曲に現代奏法が持ち込まれた1970年代以降、サクソフォンは急速に注目を集め、現在ではL.ベリオやK.シュトックハウゼン、P.ブーレーズら海外の著名な作曲家を始め、国内でも一流の作曲家が作品を残している。サクソフォンは現代奏法を手に入れた事により、クラシック界の地位を 躍的に高めることに成功した。しかし現在の日本において、サクソフォンの現代曲が演奏される機会はまだ多くはない。それは、サクソフォンの現代奏法へのアプローチ法がまだ完璧には確立されておらず、またそれらが活字化される機会も多くは無いのが理由の一つに挙げられる。
 「現代奏法のすゝめ」ではまず、サクソフォンの歴史上初めて現代奏法が用いられたデニゾフの「ソナタ」をテキストにして、現代奏法へのアプローチの仕方を考察し、後にこの曲で用いられていない現代奏法にも触れていきたいと思う。第一回目では具体的な奏法を紹介する前に、現代奏法がクラシック音楽に用いられ始めた背景と、サクソフォンの現代奏法の先駆者であるジャン・マリー・ロンデックス氏(1932-)
を紹介する


·シェーンベルクの提唱と現代奏法の成り立ち


A.シェーンベルクは自著「和声学(1911)の中で音色旋律という新しい概念を提唱した。それは、従来の旋律とは音の三要素(音高、音色、音量)の「音高の推移」に重点がおかれていたが、シェーンベルクは旋律を作曲する際、音高ではなく、音色の推移でも旋律は作曲する事が出来るという概念を提唱したのだ。この考えは当時の作曲家たちに多大な影響を与え、A.ヴェーヴェルンはこの概念を更に発展させて作曲に用い、P.ブーレーズは音色だけでなく音量やリズムまでもセリー化し、E.ヴァレーズは音色を電子的な変化へと導いた。こうしたことから、20世紀の作曲家達は音色という視点において、楽器の可能性を最大限に広げる事を模索し始める。
 現代奏法と一口にいっても、新たに編み出されたものもあれば、古くからの奏法が流用されたものまで様々である。例えば循環呼吸は、クラシック音楽で用いられる様になったのはごく最近だが、民族音楽ではスリンやディジュリドゥといった楽器で用いられ、古くからポピュラーな奏法として存在していた。他に、現代的なニュアンスの強い重音もそれに関する記述が1800年代のフルートの文献に見受けらる。しかし、当時の人々にとってそれは雑音の範疇でしかなく、作曲に用いられる事はなかった。その重音を現代的な視点から見つめ直し、クラシック音楽に初めて用いたのがL.ベリオだ。ベリオはフルートの為の《セクエンツァI》(1958)の中で単旋律楽器によるポリフォニックな書法を探求し、そこに重音の必然性を感じた。そこで、この曲の作曲に協力していたイタリアのフルート奏者S.ガッツェローニと重音の可能性を探索し、クラシック音楽史上初めて管楽器に重音が用いられた。こうした様に、現代奏法という楽器の音響的可能性とは、作曲者と演奏者との共同作業により生まれたという背景も持っている。ベリオが《セクエンツァI》を作曲する際にガッツェローニの協力が不可欠だった様に、デニゾフが「ソナタ」を作曲するにあたっては、ジャン・マリー・ロンデックスがその役を担った。


・ロンデックスとデニゾフ


フランスのサクソフォン奏者ジャン・マリー・ロンデックスは100曲を超える作品を作曲家たちに委嘱し、今日の重要なサクソフォンレパートリーを数々初演してきた近代サクソフォンの先駆者と言える。「サクソフォン125年史」といった歴史的価値のある著作からエチュードに渡り、幅広く出版し、またボルドー音楽院の教授を長きに渡って務め、教育者としても非常に優秀だった。ロンデックスは常々サクソフォンのレパートリーの少なさを指摘していた。今でこそサクソフォンと現代奏法の結びつきは密接だが、ロンデックスが活躍していた当時の作曲家たちは他の楽器に現代奏法を用い始めても、サクソフォンに用いる事はまだなかった。その頃の作曲家たちにとってサクソフォンの現代奏法とはまだ未知のものだったのだ。
 そこでロンデックスは作曲家たちへのアピールも含めサクソフォンに現代奏法を用いた新たなレパートリーを必要と感じた。まずロンデックスは現代奏法を研究し、重音やスラップタンギング、フラッター、グリッサンド、微分音など現代奏法のサンプルを録音したテープを自宅で作成した。この頃ちょうどロンデックスはA.グラズノフのコンチェルトをロシアで吹くツアーを控えており、ロシアの作曲家たちに興味を持っていた彼は、この録音をロシアの数人の作曲家に送った。その作曲家たちの名前の中にデニゾフの名前があった。1970年前後のデニゾフは木管楽器の現代奏法に非常に興味があり、そのデニゾフがロンデックスに興味を持つのは必然だった。二人はロンデックスのツアー中にコンタクトを取り、その出会いをきっかけとして《アルト・サクソフォンとピアノのためのソナタ》が作曲されたのだ。
 こうしたロンデックスの尽力があり、サクソフォンに初めて現代奏法が用いられた曲が誕生したのだが、当時のサクソフォン界からはこの曲は十分な理解が得られなかった様である。その状況が分かるのが次のエピソードだ。
 ロンデックスはデニゾフの《ソナタ》の初演の場として、1970年にシカゴで行われたワールド・サクソフォン・コングレスを選んだ。その大舞台で満を持して初演をしたロンデックスだったが、演奏を続けるにつれ、聴衆が一人、また一人と会場から出て行き、遂にはミュールまでもが出て行ってしまったそうだ。演奏後、ロンデックスはミュールに「こういった曲を演奏している限り、君の演奏会には誰も聴衆は来ない。」と言われたそうである
 当時の聴衆にとってこの曲はとても衝撃的だったが、今日ではこの曲の持つ芸術性が認められ、サクソフォンの重要なレパートリーとして定着している。ロンデックスの先見性がサクソフォンの発展にもたらした影響は大きいと言えよう。
 
 


  筆者とロンデックス氏(ボルドーの自宅にて)