現代奏法のすヽめ


序 

現代的な奏法を私が初めて演奏したのは大学3年の時に演奏したC.ロバのエチュードだった。その時は色々な本やCDから見よう見まねで挑戦したのをよく覚えている。それから色々な曲で様々な現代奏法を勉強してきたが、その中で一番感じた事は現代奏法をコントロールすることにより、通常の奏法がより安定するという事だった。現代的な方向へ勉強すればするほど、ノーマルな奏法へのより良好な回帰が見られたのだ。たとえば微分音を練習すれば半音のより正確な音程感覚が養えるし、倍音練習は喉の柔軟なコントロール、循環呼吸はうまく活用すればより良いフレージングの形成に貢献し、スラップタンギングはその原理をしっかりと把握すれば、逆にスラップタンギングに成りにくいという効用さえある。
 
 サクソフォンはこれだけ現代奏法が扱われる機会が多いのに、専門に扱っている著書が少ない事は、現代音楽の普及の妨げの一因であると思う。例えばフルートの日本語で読める文献だとオーレル・ニコレの「フルート奏法-現代音楽のための-」などはとても興味深く読む事が出来た。そう考えている矢先にふとしたきっかけから2007年の春頃にパイパーズの編集長に会う事があり、この考えを伝えたところ二つ返事でサクソフォンの現代奏法についての12回に渡る連載が決まった。私は自分が連載を持つとは考えていなかったので随分と驚いた。この連載においてまず気をつけたいと思ったのは、「出来ない」という視点から考える事だった。「出来る」という視点から物事を考えるとあるべき段階を飛ばし、初心者にとってつまづきとなってしまう事がある。「出来ない」を0として「出来る」を10とした時に2ページの誌面の中でどれだけ段階を細分化できるかが私にとってのチャレンジだった(この段階の細分化はアキレスと亀からのパラドックスから発想を得た)。この連載では単に現代奏法の羅列をするのではなく、何か一つの曲が出来上がるまでの過程を通して奏法を学んでいくという事が一つのコンセプトだった。そういった中でデニゾフの「ソナタ」ほどこの連載に相応しい曲はなかった。この曲はサクソフォンの歴史上初めて現代奏法を用いた曲であり、曲の認知度・芸術性ともに高かったからである。
 
 SaXoLab.での「現代奏法のすゝめ」はこの連載を元にしているが、また別のアプローチを試みている。書籍は本屋や図書館などに配本される事により不特定多数に読んでもらえる良い媒体であるが、その弱点は音などのメディアを直接扱えない事であった。当時はどうにかして外部との連携をしようと図ってもみたのだが、結局実現する事はなかった。文字に加えて音などで例を示す事によるマルチメディア化はより良いイメージの構築に繋がり、それは習得の早さと比例する事は間違いないであろう。インターネット上ではこうしたマルチメディア化を容易に形成する事が出来るので、実験的にこうした試みをしてみようとパイパーズでの連載を再構築して「現代奏法のすゝめ」を書き始めてみた。ここを通じてサクソフォンの現代奏法の発展に貢献できたらこれほど幸せなことはない。