ルチアーノ・ベリオ論̶ 注釈技法の研究とその起源を巡って̶
 
 

 ルチアーノ・ベリオ Luciano Berio(1925-2003)はイタリアを代表する作曲家の一人で あり、ピエール・ブーレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンらと並び戦後の現代音 楽の牽引者であった。19 世紀におけるイタリア音楽史は、オペラの歴史そのものであったが、 そうした時代のちょうど終焉を迎えた 20 世紀初頭にベリオは生を受けた。ベリオは現代にお けるオペラの作曲を否定し、イタリアの伝統的な歌唱法であるベル・カント唱法も好きでは ないと述べるが、彼は20世紀のどの作曲家よりも声を扱った作品を得意としていた。またオ ペラからの逸脱を図った上での音楽劇に生涯こだわるなど、従来のイタリア音楽からの脱却 を図り続けたものの、その本質は誰よりもイタリア音楽を体現していたと言える。ベリオは 伝統を大切にしており、その脈々と培われてきた伝統に対して、彼自らの解釈を加え、それ らを現代の言葉に翻訳し作品として生み出していった。ベリオはこうした作曲法を「注釈技法 Commentary Technic」と述べ、以下のように定義する。
 
作品とは、前に現れたもの、そしてこれから現れるものの注釈である。それはまるで答 えも注釈も生み出さない問いのようなものであり、また別の問いのようなものである
 
ベリオは、現在書かれている作品とは過去の作品との関連性の中に存在し、また書き上がっ た作品は次の作品のために存在していると考えているのだ。つまり作曲とは無から生まれて くるものではなく、以前に存在した数々の作品を「引用」し、それに自らの「注釈」を加え たものであり、創造という行為はこうした連続性の中にこそ存在しているという概念を提唱 しているのである。ベリオはこういった概念を作曲の中に取り入れ、自らの作品を引用して は新たな作品を生み出し、また時には他人の楽曲やフレーズを引用して新たな作品を編むな ど、注釈技法を元にした作品作りを徹底し続けた。本論文はそのようなベリオの「注釈技法」 の分析とその概念の起源を探求するものである。
 ベリオの研究は近年取り上げられる機会も増えつつあるが、まだ数は多くない。注釈技法 に対する先行研究としては、《セクエンツァ》と《シュマン》という、いわゆるオニオン・シ リーズといわれている作品間での注釈に関するものが多く、まだ局所的な注釈技法に言及し ているのみである。注釈技法の一つの分野だけに焦点をあてることも有意義ではあるが、そ れだけではべリオの注釈技法の全体像は見えてこない。ベリオの注釈技法は大局的な視点で 見た時にこそ、ベリオ自身の本質が見えてくる。本論文は注釈技法に対して俯瞰的にアプロ ーチし、その体系を分類することにより全体像を明確にする。こうした取り組みはベリオの作品間での新たな注釈関係の発見にも繋がるであろう。また本論文の独自性として挙げられ る点はベリオの注釈技法の総括のみならず、人としてのべリオにも焦点を当てている点であ る。ベリオの人間性を探求することは彼の音楽を知る上で必要不可欠であり、逆に彼の音楽 を分析することで、ベリオの人間性をより深く知ることも出来よう。
 本論の第 1 章ではまずベリオの生涯に焦点をあてる。1920 年代には非常に優れた作曲家が 複数生まれており、ベリオと同じ 1925 年にはブーレーズが生まれ、その 3 年後にはシュト ックハウゼンが生まれている。彼らの半生を追うことは、それがそのまま第二次大戦後の音 楽史そのものになる。戦後に新しい作曲技法が目まぐるしく入れ替わり立ち替わりする中で、 ベリオはそのトレンドとどう向き合い取り入れていったのか、またそこからどの様に彼自身 の独自性を築いていったのかを探求するための章である。
 第2章はベリオが提唱し続けてきた注釈技法そのものに焦点をあてる。彼の注釈技法を「編 曲」「引用」「拡大」と分類し、それぞれの分類においてどのように注釈が行われているのか を分析する。また彼の作品リストから、それらがどの注釈技法を使って作曲されているのか も同時に体系立てる。
 第3章はサクソフォン奏者である私自身がベリオへの 3 つの注釈をした章となっている。 一つ目はサクソフォンのための 2 つの《セクエンツァ》の楽曲分析である。ベリオは常々作 品に対する分析の必要性を説いており、私自身もベリオの《セクエンツァ》を分析すること でそれを実践した。ベリオの述べる「分析こそが作曲に繋がる」という言葉は演奏者にとっ ては「分析こそが演奏に繋がる」という言葉に置き換えられるであろう。次いでベリオとと もに行動し彼のことをよく知る人物であるパリ国立高等音楽院サクソフォン科の教授である クロード・ドゥラングル氏へインタビューを行い、ベリオの実像に迫っている。三つ目の注 釈はスイス・バーゼルのパウル・ザッハ̶財団の協力の下《レシ(シュマンVII)Récit(Chemins VII)》の出版譜と手稿譜の違いを検証したものである。
 第4章はベリオを巡る旅である。私は文字通り旅をした。ベリオは自身の人生を航海にな ぞらえ、その旅は「帰るべき故郷がない旅だった」と述べる。それはどういう意味であった のだろうか。私はその発言がベリオの注釈技法の核になっていると思い、実際にベリオの人 生をなぞるために、彼の生まれ故郷であるオネリアと終着地のラディコンドリを訪ねた。片 方は海の町、もう片方は山の中の町であり、それぞれの土地は一見全く違うように見えたが、 実は両者は「オリーブ」というキーワードで結ばれていた。そのキーワードを元にベリオの 注釈技法の起源を考察することが出来た。そこにはベリオのリグリア人としての気質も大き く関わっている。
 こうした分析というアプローチと彼の本質を探る旅をするという二つのアプローチを経る ことにより、ベリオの注釈技法が、彼の人としてのどの要素に由来しているのかを明らかに するのが本論の主旨である。